marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

血縁関係って難しい・・・

正月早々に妹とけんかになって、未だにちょっと引きずっている。。


子供の頃から仲は良かったと思うのだが、、ちょっと面倒くさい性格になっていて、被害妄想が激しいのだ。


わたしにも若干の要素があって、そもそも、アダルトチルドレンなのだという自覚はあるのだが、妹にも形は違えど、その要素はあるらしい。


わたしには2人の妹がいて、下の妹と話をする時には緊張する。
うっかりと言ってしまったことをいつまでも覚えているので、迂闊に話が出来ないのだ。


小さいころ、母の忙しかった代わりに面倒はよく見ていたと思う。
幼稚園へ自転車で迎えに行ったり、出かけるときに駅まで自転車の後ろに乗せたり。
たった3歳6か月しか違わないのだが、私は体が大きかったので、妹2人のうち、母の代わりに下の妹の面倒をよく見ていた。


小学3年生の時に、母が入院した時も、幼稚園の妹たちと父の食事の用意をしたのは私だった。当たり前にやっていたことなので、特別なことだったとは当時思っていなかったが、よくよく考えてみたら、自分はなんとも不思議な子供だったのだと思う。
何の問題もなく、学校へ行って、家に帰って家事をして、父の手を煩わすことなく、母の入院期間を終えた。


その後も、母は私たちを置いて、自分の実家へ両親の介護をするために帰ることが良くあった。そんなときも、全く困った記憶がないのだ。
妹たちにすれば、きっと不安でたまらなかったと思うが、私はあんまり気になった記憶がない。


そんな姉である私のことを、20数年前のある出来事から、姉とは認識しなくなったのが下の妹である。
私の不徳の致すところで、それは致し方ないかとは思っているが・・・。


父が死んだとき、母が一人残ってしまうことを、私たち姉妹はそれぞれの考えで心配をしていた。
自分のことは何でもできて、シャキシャキしている母である。
私としては、急いで誰かが母の近くに住む必要はないと思っていた。
そこに、下の妹は半ば強引な感じで、私ともう一人の妹に、実家の空き地に家を建てて住む算段をしないかと迫ってきた。どちらも子供がいて、通学の都合もあり、即決は出来ないことで、数年後には考えられるかもしれないけれど、今すぐにというのは無理だというようなことを言ったら、「じゃあ、私が仕事もやめて、実家に戻るね。」と、即決してしまったのだ。
父が死んで、司法書士さんは私が探して、実家の土地は母と私たち三姉妹の共有名義とした。
空き地に妹が建てた家は、明らかに土地の4分の1にはならないサイズなので、名義が4人である以上、他人の持ち分に家を建てた形になる。
そのことについて、特に私も、もう一人の妹も、何も言うつもりもなかったのだが、下の妹は「使用貸借契約書」を作ってきて、有無を言わさずにそれにハンコを押させたのだ。


正月に喧嘩をした時に、固定資産税の支払いについて、私が無視をしていると言い出し始め、名義は4人であっても、自分が使用貸借契約書によって、無料で土地を使えるようにしているのに、固定資産税は負担しろと言いたかったらしいのだ。


まあ、税理士だし。金のことには細かいのはなんとなくわかっているから、「使用貸借契約書」を取り付けておかないと、不利になると思っていたのだろう。


しかし・・・・
相続税も発生しないような、微々たる実家の土地である。


こんな話は身内にはできないので、ここにつらつらと書かせてもらった。
正月の喧嘩から、なんとなく、頭の隅っこに引っかかっているこのことは、私の中で、母が死んだら下の妹とはあんまり関わりたくないなぁ・・・と、そう思うのだった。