marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

お受験という魔物

中学受験の追い込み時期になっている今。


我が子はお受験に無縁で、大学も指定校推薦で入学してしまったので、高校受験しか体験はないのだが、周りにいる中学受験経験者を見てきて思うこと。


積極的要素で中学受験に臨む子と、消極的要素で臨む子がいる。


積極的要素は、漠然とした将来であっても、もっと勉強をする必要があるということを本人が認識していて、上を目指したいと思っている。


対して、消極的要素は、なんとなく地域の中学校へ行きたくないという理由が一番である場合。


私の周りにはっきりと結果が出ているので、、


積極的要素の子は、ほっといてもどんどん勉強をするので、ここでは書くことがない。


消極的要素の子の場合、背伸びさせずに自分のレベルよりも低い学校を受けさせたほうが良いと思う。
できれば楽勝で特待生に受かるような学校を選んだほうが良い。


何故なら、消極的要素で受験をする子は前向きな受験ではないからだ。
例えば、仲良くできない友達から離れたいとか、いじめにあっているとか、それが根本の理由で、そういうことがなければ、受験する理由がないのだとする。


塾へ通い、受験対策をしているうちに、よりよい学校に入ることを塾で指導される。
進学塾は良い学校へ受かりさえすれば、その後の営業に繋がるのだから、何度も挑戦させて、なんとか滑り込ませようとする。


その子の将来のことを本当に考えているわけではない。


12歳くらいの子供が、周りにいる大人から、偏差値レベルの高い学校に合格することが良いと繰り返し洗脳されれば、そのほうが良いと思ってしまうのは仕方がない。


でも、何とか滑り込んで自分のギリギリの能力の学校へ受かってしまった場合、そこに入学しても、その子は自分の実力がそこでは発揮できないまま、中学・高校を過ごすことになる。
ギリギリで受かっているのだから、勉強をしても成績で上位に上がることはない。
先生は成績の良い子に向かって指導をする。


何故なら、より良い大学へ進学させることが進学校の使命なのだから。


置いてけぼりにされた子は、自分はだめなやつなのだと、無意識の自覚を持つようになる。
例え、そういう言葉を口にしなかったとしても、自分の存在意義を見出すことが出来なくなり、自尊心は傷ついていく。下手をすれば生きている意味すら疑うようになる。


一般的に見れば、立派な大学に進学できたとしても、周りには有名国公立大学に入る輩がごろごろしていて、やっぱり自分は大したことないと思ってしまう。


もし、レベルを下げて、入学した時から上位の成績で過ごす学校を選んでいたら、消極的要素で受験をしたとしても、そこで与えられる優越感によって、その子の人生は大きく変わってくると思う。
先生からは注目され、同級生からは羨望のまなざしを受ける。
小学校でいじめを受けて、心がボロボロになっていたとしても、進学した学校で勉強ができる人ということだけで、特別待遇を受けることになり、自分の価値観が上向きになることで、失いかけていた自信を取り戻すことが出来る。


褒められてうれしくない人はいない。
大人でも褒められればうれしいのだから、多感な10代はもっと嬉しいに違いない。


中学受験をさせるなら、自分が輝けるステージを見つけられる環境を整えてあげて欲しいと思う。