父の死因
亡くなる7ヶ月前に父は直腸結腸癌による、腸閉塞で入院し、腹腔鏡手術を受けて、腸閉塞の原因となっている、ガンを取り除きました。
退院後の経過観察の通院でも、順調であると報告を受けていました。
急変して、たったの数時間で逝ってしまった父。
死因は下部消化管穿孔による急性腹膜炎との説明を医師から受けました。
救急対応した医師に、後から着いた妹が冷静に、
「手術の経過が原因なのですか?」と、訊ねました。
その医師は、少し、気色ばんでそれは関係ないですと答えました。
手術となると決まった時、もっと、大きな病院で診てもらうことを、手術の前に母と相談したのですが、母は毎日の見舞いがあるので、家から近くの病院の方が良いと、亡くなった病院での手術を決めました。
恐らく、認知症の症状が無ければ、別の病院へ転院させていただろうと思います。
でも、毎日様子を見に来なければならない父の様子に、ガンの手術よりも、認知症の症状が進行することの方が、私たち家族にとっては重大な問題でした。
既に、認知症と診断されて14年が経過しているということ。
ゆっくりではあっても、少しずつ、認知機能が低下しており、娘たちの区別がつかなくなっている様子であること。
孫に会うと、必ず「大きくなったなぁ」と、言い、いつまでも小さな小学生くらいの孫のイメージしかなくなっていること。
入院によって、娘たちが毎日交代で見舞いに来ても、母の顔を見ないと、不安そうにする父の様子から、判断は間違っていなかったと、思っていました。
亡くなってしまったことから、恐らく、手術は決定的に成功したとは言えず、少しずつ、具合を悪くしていたのに、認知症であるが故の「痛み」に対する反応が鈍くなっていたということと、父の痛みに対しての、元々の我慢強さがこの結果を招いたのだと思います。
父は若い時から、痛みを訴えない人でした。
でも、後で落ち着いてから、ネットで検索し、七転八倒するほどの痛みがあると知りました。
心停止する直前まで、自力で歩いて、トイレまで行っていたということを、母から聞き、我慢強さにも限度があると、家族で話しました。
父を検死できちんと調べてもらえば、何かもっとわかることはあったかもしれません。
でも、その昔、父は自分の父親が、誤診で亡くなったことが明らかだった時に、
「調べてもらっても、親父は生き返らないからな。」
と、言っていました。
父は、認知症であっても、痛みに耐え、亡くなる覚悟をして、最期まで自宅にいたかったのだろうと思いました。その父の語らない姿を見ながら、私はそう思いました。
父が亡くなったのは、私の誕生日の前日でした。
偶然とは言え、そこに父の最期の愛を感じるのです。
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