父の最期
父は退院後、しばらくして、デイサービスにも復帰し、日常が戻ってきました。
故郷への墓参り旅行も出来ました。
食欲も戻って、一安心しました。
ただ、デイサービスに行っても、何もせずにボーッとしていることが増えていた様子でした。
認知症は明らかに、入院前よりも進行していました。
家にいるのに、母に、
「帰らないと。」
と、言うことが増えました。
母が、
「ここが家だよ。どこに帰るの?」
と、返すと、
「そうか。」
と、言い、少し落ち着くといった様子でした。
一人で、近くを散歩しに出かけた時、母が心配するほど長時間、帰って来ないことがありました。
母が探しに出かけようとした時、やっとの思いでたどり着いた様子で、それをきっかけに、母は靴にGPSの着いたものを履かせることを勧められ、その相談を私が受け、年明けの8日に、一緒に説明を聞くことにしました。
年末から正月にかけて、娘たちが入れ替わり立ち替わり、顔を出したのですが、全員で揃うことが出来ない年でした。
飼っている猫の具合が年末に悪くなり、実家で絵を描く予定だった娘を連れて行くことが出来ませんでした。
私は娘と一緒に顔を出したのが正月明けて2日で、その日も父は色々なおせちを食べ、喜んでいました。
私は娘を実家に置いて、自宅に戻りました。
3日後の5日に、娘から、LINEがあり、おじいちゃんが具合悪くなっていると、知らせを受け、すぐに母へ連絡しました。
病院に連れて行ったほうがいいかな?と、訊ねましたが、母は7日に通院の予約が入っているし、今は落ち着いて寝ているから、様子をみるということで、電話を切りました。
明けて2時過ぎ、娘からの電話で、おじいちゃん、心停止で、今、救急隊の人が心肺蘇生している。
病院に運ぶから、病院が決まったら電話するとのことで、妹たちにすぐに連絡しました。
娘から、入院した病院に行くと、連絡を受け、すぐに妹たちに知らせました。
車で向かうので、焦って事故にならないようにしないと思いながら、父は大丈夫だと、どこかで思っていました。
40分ほどで、病院に着きました。
娘が外で待っていました。
私の車を見つけると、
「おじいちゃん、ダメだった」
頭がその言葉を理解せず、娘は同じ言葉をもう一度言いました。
そっか。。
救急外来から入ると、先に着いた妹が、泣きはらしていました。
父は、小さな古ぼけた救急病院の小さな診察室で、眠っているようにしか見えませんでした。
今から2年前の出来事でした。
手術から、たったの7カ月しか経っていませんでした。
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