marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

職人としての父の仕事は偉大なものだったと思うのです

職人さんが、まだ、世間に下に見られていた時代に、父は言い知れぬ屈辱を沢山味わってきたのだと思います。


貧乏に育ったことから、一大決心をして、田舎から都会に出て、職人になる為の修行をし、5年ちょっとで、あっという間に独立までして、母と二人三脚で必死に会社を起動に乗せて、夜も寝る間を惜しんで働いていた両親の姿を、私は誇りに思っています。


父の作る作品とも呼べる建具の数々は、好んで注文してくださる地主さんがおりました。ある時はヤクザさんの親分格の方の、家の作り付け家具を頼まれて、納めに行ったこともあります。


注文を受けて、父の作った物を褒めて下さる方は、1点物であるが故、金額もそれなりにするはずなのですが、本当に満足して下さっていました。
父の納品が終わった後の満足感が、会話の端々に溢れるからわかるのです。


旧防衛庁の工事の仕事をする父は、稼ぐ為の仕事なので、そこで、嫌な思いをさせられることが多くあったようです。
旧防衛庁の工事なので、そこの家主さんは1円たりとも支払いはしません。国から工務店に支払われ、父の会社の手元に渡ります。
でも、家主さんには、「ついでに」ちょっとここを見て欲しい的なことを言う方がいるのだそうです。
それは、タダで、職人の技を使おうとする行為に当たります。そこには、父の技を軽く見ていると言うことと、職人を下に見ているから、簡単に発することが出来るのだろうと思います。


父は、言い知れぬ屈辱を味わっていても、帰宅して、一切そういうことを話さない人でした。


でも、アルツハイマーが進行して、少しずつ、昔の話が出るようになり、嫌な思いをしてきた事が、口からこぼれるようになりました。
悔しさに、涙を流す姿を見せることもありました。


心の奥底にしまってきた、数々の想い。。


父の悔しさを娘として、じっと聞くことでしか、してあげられることはありませんでした。