仕事を失う寂しさ
父は働いて働いた人でした。
子どもの頃から、仕事の嫌いな父親に代わって、家計を支えるために働いてきました。
その父が、仕事をせずに生活することになって、どれほど不安だったか・・・
たまに訪ねてこられる仕事仲間には、なんで、辞めたのかと尋ねられます。
見た目も普通。会話も普通。どこが悪いの??と、いう感じだったのです。
その会話の中で、父は、自分の頭を指さし、
「身体は健康なんだけど、頭がね。」と、笑っていました。
職人気質ですから、元々、おしゃべりではありませんが、偏屈というほどではなく、一般的な会話はします。後、若い人にうんちくを言うのは好きでした。
年金と貯蓄での生活になり、父は働かずに食べていることに不安を覚えます。
母に度々、
「お金はあるのか?」
と、確認します。
母はその都度、通帳を見せて、説明をします。
そうすると、少し、安心するのか、しばらくは聞かなくなりますが、数日すると、また心配になり、確認するのです。
軽度認知症の頃は、身近なところで車の運転は続けていましたが、遠出はとても嫌がり、母が運転していました。新しい道やちょっと景色が変わってしまうと、わからなくなってしまうことに、父は不安を感じていたのでしょうし、元々、運転が上手な人だったので、上手く車を操作できないことに、いら立ちを感じていたのだろうと思います。
アルツハイマーと診断確定されてから、車の運転は全くしなくなり、免許の返納も自分ですると言って、返納したのです。
母は自分も運転できるのですが、父が、免許を返納したことを忘れて、車を動かしてはいけないと、車を売却しました。
これで、本当に仕事の道具は全てなくなりました。
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