marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

宗教に取り憑かれてしまうのは何故か

世の中にたくさんある宗教。

信心することは、自らの心の有り様を確認するためで、誰かや何かに振り回されてしまう事態は、正しく宗教と向き合っていないのではないかと思う。

宗教に関わると、他人の行いに干渉してくる人もいる。考え方が良くないとか、行動がいけないとか。

ついには、お金の使い方にまで干渉してきたら、自分は怪しい団体に取り込まれる。

ここで、騙されているのだと気づけなければ、身包み剥がされる。


なんの縁もゆかりもない人から親切にされた時、心が弱っているとありがたく感じることはあるが、そうではない時にはお節介な人だと、不信感に繋がる可能性が高い。

友達でも、知り合いでもないのに、何で親切にしてくれるのですか?と、尋ねてみれば良いのだが、心が弱っていると、その疑問すら湧かない。

そうやって、心のスキを見逃さないのは、詐欺師と同じなのだと思うのだが、如何だろうか?


哲学を学ぶ場合、学問としての取り組みになるので、誰かや何かに振り回されてしまうようなことにはならないと思う。

心が弱っている時には、哲学書を読んだ方が冷静に自分と向き合うことが出来ると思う。