marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

病院の存在意義

ここ数年、コロナで病院がひっ迫している状態になると、患者のトリアージをせざるを得ないという情報が流れてくる。コロナじゃなくても、救急車を呼んでもすぐには来ないし、来たとしても受け入れてくれる病院がないまま命を落とす方がいる。


コロナが流行る前に夜間に急変した父の話だが、救急車はすぐに来てくれた。
心停止を確認し、心臓マッサージを施してくれ、経過観察の予定が入っていた病院へ緊急搬送された。
でも、助からなかった。
夜間に当直している医師は、経験不足の方が対応している場合が多いらしい。
ということは、夜間に具合が悪くなった場合は軽度でない限り、ほどんど助からないと覚悟をする必要があるのだと思った。
でも、軽度の場合は救急車は呼ぶ必要がないし、朝になるまで待って、普通に受診するだろう。


医師によっては、何が何でも患者を助けるという使命感にあふれている人もいるだろう。
だが、それはごく一部の場合だろうし、医師が人間である限り完璧を求めるのは何か間違っていると思う。


私はほとんどの場合に、病院へ行くということをしない。
まだ子供が小さいときに38度を超す発熱があり、様子を見ていたのだが、ぐったりしていて苦しそうだったため、夜中に夜間診療を受け付けている病院へ30分かけて連れて行ったことがある。
その時に診てくれた医師から、冷ややかに言われたことが今でも記憶に残っている。


"子供はすぐに熱を出すし、このくらいなら大したことはないから"
小児科の医師は毎日色々な症状の患者を診ているからそう考えるのだろうし、ひきつけやけいれんでも起こしていない限りは急いで受診する必要がないということらしかった。
それ以来、インフルエンザの症状が出たとき以外は、病院へ連れていくことをしなくなった。


昔から病院ではよい思いをしたことがないので病院嫌いは加速し、本当は救急で診てもらわなければならないくらいになっているのに、受診せず、父のように死んでいくのかもしれない。
でも、それが死に方だとすれば、私はそれでよいと思っている。