marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

サービス過剰な日本は自らの経済を締め付けていく

東京オリンピック誘致の際に、日本のおもてなし精神を最大の武器として、日本のサービス精神は世界中に広がった。
かつて、「お客様は神様です。」という言葉通り、日本の全てのサービス業はその精神に則り、過剰サービス競争を繰り広げ、日本中の殆どの商売がそうやって業績を伸ばしてきた。しかし、である。
カスタマーハラスメントなどという言葉が生まれる時代となり、正しいサービスとは何なのかを考えなければ、これから先の日本経済は成長することは難しくなっていくと思う。


わかりやすいのは、救急病院のケース。殆どの医療機関では、救命救急がその経営を圧迫し、赤字を招いていく原因となる。
因みに私は病院経営もサービス業だと思っている。社会保障費で補填されるのが、他のサービス業とは違うが、大枠は同じと考えている。
救急車で運ばれた患者を最終的に受け入れた医療機関は、その治療について支払いを誰がしてくれるのかを確認し、それに応じて治療方法を考えるべきだと思うのだが、日本の医療機関はそうではない。とりあえず人命優先。何人であろうと、お金が無かろうと、人命救助に専念する。医師、看護師、それに準ずるスタッフなどの人件費、病院の設備費用、投薬料などの治療費、無料で使われた救急車費用と救急隊員の人件費、自身が負担しないで使えるからと言って、タダで働く人はいないのである。それらは私たちが負担している税金が充てられている。


自分が負担しない、若しくはその内容が支払ったものを遥かに超えるとしたら、その損失は一体誰が負担するのだろうか。


例えば、医療スタッフ達の使命感。時間を惜しまず、心臓マッサージをしたとしても、かかった時間に対して医療点数が上がるわけではない。頑張った分の対価を病院側が評価したかったとしても、経営の側からはそれを補う予算が出ないかもしれない。


飲食店の場合で考えてみると、有名店の食事でサービス料を食事の10%とするところは別として、一般的な飲食店は提供する一食当たりの金額にそれは含まれている。材料費、光熱費、食事にする人の人件費、サービス料。店の賃料などもあり、一食当たりの利益率は如何程になるだろうか。美味しくて、安くてというのは、客としてはとてもありがたいことなのだが、ここにも使命感に駆られ、安くて美味しいものを提供したい一身で頑張ってしまう人がいるのだ。


1人や、夫婦で頑張っていた、安くて美味しい店が経営が成り立たなくなり、閉店してしまうなんて話は良くあることだ。


人の使命感の上に成り立つサービスは、過剰サービスなのではないかと思う。


父が亡くなった時、救命救急隊の人は一生懸命に心臓マッサージをしてくれていた。
病院でも40分くらいかけて蘇生を試みてくれた。まあ、病院の対応については若干思うことはあったが、亡くなってしまった父はもう戻らないし、自分では如何ともし難い状況だったのだから、父の寿命だったのだと諦めるしかないと、今でも思っている。


一杯300円程の牛丼屋で、何か怒鳴り散らして店員に食ってかかっている客がいた。食べられない異物でも入っていたのだろうかと思いきや、汁だくと言ったんだとか何だとか。。
あまりにも馬鹿馬鹿しく思っていると、その隣にいた人が、「それ以上やるなら警察呼ぶぞ」と、一言。
そもそも、300円の牛丼はそれを提供して貰えばそれだけで良しのはず。そこに善意の無料サービスが存在すべきではないのだ。
余計な手間をかけさせた分、時間というコストを多く使う。


過剰なサービスを求め続けると、そのコストはいつしか私たちの消費物価や税金となって重くのしかかることになるだろう。