自らの人生を歩きたかった
検索かけられるとまずいので、はっきりとは書けません。
人生の大切な期間を費やし、自らの価値観とは違うことに同調して、生活の全てを掛けて、子どもすら犠牲にしてきました。
暴力を受けても、そこにい続けたのは、自分自身であり、この生活を選択したのも自分です。
自分がしたかったことの実現性が見えなかったため、自らを必要とされていると思えるところに居ただけなのですが、そうなってしまうと、益々、己の感覚を殺していなければ、居心地は悪くなる一方です。
何も感じない。
相手の言うことに、異議を唱えず、どんな理不尽な扱いであると、世の中の誰かが思う状況だとしても、自分はそれで良いのだと思っていると言い聞かせ、継続していくことが最善の策なのだと。
どんなところにもある、隠された空間。
家庭だったり、学校だったり、職場だったり。
外から見えているものだけが、事実なのではない。隠された空間の状況こそが、関わる者にとっての現実である。
色々な闇の多くは、明かされることなく、静かに終わりを迎えるものではないでしょうか。
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