marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

自殺ほう助の報道で思うこと

歌舞伎界で騒ぎになっている件。
どんな苦悩があって、家族で心中しようと思ったのか、それは本人たちにしかわからない。


罪に問われるのは「自殺ほう助」
自殺の意志がある人が、他人の手を借りたことにより、実行できた場合はこの罪に当たるということだ。


死んでしまった人が、どういう意図をもっていたのかを問いただすことはできない。
例えば遺書があったとしても、本当に死ぬ瞬間まで、「自殺」という気持ちだったのかを証明することはできないのである。
「そうであろう」という、推定によって、生きている人間が判断する。


歌舞伎はそもそも、大衆演劇だったのである。
その歴史はおよそ400年前からだと言われていて、今のような伝統を脈々と受け継ぐような形に変化し、守ってきた。
歌舞伎役者の家に生まれた男子は、生まれたときからその道が定められているような状態で、選択肢はなさそうに思える。これは想像でしかないが。
向精神薬を処方されていたというのであれば、普段から、常用しなければならないような精神状態だったのだろう。


〇〇屋というものを背負い、後進を育て、舞台の演出をし、売上も気にしなければならない立場だっただろうと想像される。


「作業」だけをしていればいいのではない。
会社で言えば、経営者であり、技術者であり、営業であり・・・何役もの立場をこなしてきただろうと思う。


「ハラスメント」と言われる行為があったかどうかは、受けた側の印象のみで語られるのであり、弱い立場の者が、強い立場の者から圧力を受けたと主張されれば、今の時代、叩かれる。弱いものを虐めたのだから、世間に晒し物にして、今度は事実を良く知らない人たちから叩いて、攻撃してもらおうとでもいうのだろうか。


はっきり言って、恐怖である。


叩かれる立場になった有名人は、それまで関心のなかった人たちからも、SNSなどによる誹謗中傷が始まる。


それは、想像できないほどの恐怖であっただろうと思う。


目には目を、歯には歯を。


ハンムラビ法典によれば、
目をえぐられたら、相手の目をえぐり返せばよいと。
目をえぐられたら、相手の目をえぐり、歯を折っても良いということではない。


当事者たちしか知りえない事実を、さも、そこにいた者のように記事にしていく「記者」たちを許してよいのだろうかと、私は思う。