marimonfuwaのブログ

何かしんどいなぁと思う時に綴ろうと思います

宗教の事と政治の話はしない方が良いと言われて育った

連日、安倍元総理大臣の事件の報道がされていて、旧統一協会の信者2世の苦悩に問題がすり替わっている。

日本に於いて、宗教の勉強は自ら望まなければ一生関わりを持つ事なく生活する。

出産後、神社でお宮参りをし、七五三の祝いをし、毎年初詣をする人。結婚する時は、神前式とキリスト教式のどちらにしようかしらなどと相談し、多くの人は亡くなった時に葬儀屋さんから仏教の宗派を尋ねられて、お坊さんにお経を上げてもらってこの世からいなくなる。

不思議なのだ。日本古来の宗教は天照大神からと考えれば、神道であるはずなのだが。。

これまで葬式はお坊さんがお経を上げ、お焼香するものが殆どで、神式の玉串を捧げる葬式は過去に一度、教会式の葬式も一度しか参列した事が無い。

子供の頃、誰が見ていなくても、お天道様が見ているからズルをしてはいけないと教えられた。

お天道様とは、おそらく八百万の神からきているので、神道の流れであるだろうか。

目に見えないものを恐れてばかりはいられない。ただ、見えないから存在しないとは言い切れないと思う。

人は集まった時に、雑談的に政治と宗教の話をしてはいけないとも教えられた。争いに繋がるからだそうだ。

不安な感情は人の心を支配する。何かに頼りたくなり、それが自分にとって心の安らぎになると感じれば、傾倒してしまうこともあるだろう。

でも、自らの生活すら成り立っていかない状況なら、それは何かのバランスを欠いた生活だと気づく事が出来るように学んでおく必要はある。


因みに聖書には面白い記事もあるのだ。

ある主人は三人にお金を預けた。1人は5タラント、1人は2タラント、それを元手に商売をして利益を得、主人に褒めてもらう。1タラント預けられた1人は、穴を掘って埋めておいた。そしてそのお金を主人にそのまま返金して怒られるという内容だったと思う。1タラント預けられた人は商売をして失敗した時に主人から怒られる事を想像して、何もせずに隠しておいたという理由だったと思う。

主人はそれを聞いて、それならば銀行に預けて、金利を得ることもできた筈だと。何もしなかった事が良くなかったと。

私はこの記事を読んだ時に、自分ならどうするかと考え、きっと銀行に預けるだけだったろうなと。

聖書の中には泥臭い人間模様が他にも書かれていて、宗教の本として読むのではなく、一書物として読んで見ると面白いところが幾つも見つかるのだ。

信仰している人には、許せない!と、思われる冒涜なのかも知れないが。